TALK
人生と旅は選択の連続 東京→鹿児島 1,300km歩いて日本を繋ぐ その⑥
男でも女でもないXジェンダー”れいれいさん”
自ら鹿児島まで歩き、様々な人々の暖かさに触れあい支えられながらの旅。
LGBTs啓蒙活動を続け、地方に住む当事者たちと出会ったことで見えてきた「LGBTsの現状」をお伝えする。
人とつながって自分を知る②
束の間の休息を経て、名古屋を発つ。
旅が始まってからまだ十日とちょっとしか経っていない、驚きの濃さだ。
次の目的地は京都。「人々を繋ぐこと」にかけて“りお”から預かった『ツナグ』(著:辻村深月)の文庫本を運ぶ。
出発の前夜、同プロジェクトの学生コラムにも寄稿している“伊織”と会った。
“伊織”はXジェンダーで、中でも性自認が定着していない不定性の自認をしている。
もともと知り合いで、一番初めに髪型の悩みで連絡をくれたことがあった。
本人の周りには自分の在り方を否定する人はいないが、似た生き方をしている僕に興味を持って会ってくれた。本記事の下部に“伊織”の記事URLを掲載するのでぜひ高校生のリアルな当事者目線も読んでいただきたい。
前日は“みなと”(前章参照)の家に泊まっていた。 “みなと”はあいにく仕事のため名古屋駅でお見送りだが、名古屋なのもあり今日は大勢のメンバーが集まってくれる。名古屋駅で“あお”と“悠生”(前章参照)と合流。そして東京から朝一の新幹線で“すーさん”が会いに来てくれた。
ぼくと“すーさん”は共通の友人を通じて「れいパ(れいれいが主催するホームパーティ)」(詳細は第一章参照)で知り合った。北海道出身である“すーさん”はFTMで、地元の方ではオープンにしているセクシャルマイノリティの当事者が少なく、拒絶的な態度や輪を大切にする村の意識などによりカミングアウトが難しかったり、馴染みづらい過去があった。
彼の友人が性自認や性的指向を尊重する交流会であればきっと良い繋がりや発見があるだろうと紹介してくれた。
そんな出会いで始まった“すーさん”だが、彼がいなければ歩くことはなかっただろうというくらい、“すーさん”は本企画においてもっとも重要な存在の一人だ。“すーさん”は数年前バイクで日本一周をしており長距離旅の先輩で、歩く企画を考えていた時に「やりたいと思うならやっちゃったほうが早いよ。筋肉は歩きながらつくから。笑」と背中を押してくれた。経験者が馴染みにいたからこそ、安心して始められるきっかけになった。
合流するやいなや、「元気か!よくここまで歩いてきたな!ほんとによくやったよ。」と励ましてくれた。この懐の広さとやさしさが僕は好きだ。
そんな“すーさん”は、バイク旅をする前から家族を愛していたが、幼さ故に自分のセクシャルをうまく表現出来ず、家族の中で唯一カミングアウトしていなかった父と話し合うことが多かった。
色々な想いを抱えながら旅に出て、色々な考えや文化、人との交流を学び、様々な人と出会い、様々な人の価値観と触れ合って刺激を感じ、そして考えや視野が広がったと話していた。まさに今の僕も道中で様々な人と出会い、当事者関係なくいろんな分野で価値観や知識をアップデートしている。『旅』というより『繋がる』ということは新たな世界を知る良い機会なのだろう。
旅の途中、すーさんは九州で事故に遭い旅は中止。
その際家族に連絡を入れその当日に父が飛んで会いに来たそうだ。
「生きてたら良い、無事で良かった」と声をかけてくれた父に対し、“すーさん”はもし父と同じ立場に立たされた時に、自分の子供に対してちゃんとした対応が出来たのだろうかと、親も完ぺきではないのだということに気づき、自分の知らない事や、初めての事を理解するには時間がかかり、少しずつ学んでいくものなのだと自分の幼さを痛感した。
それからは家族との関係を改善しつつ自分の在り方を模索する為に上京した。現在では家族全員にカミングアウト済みである。
“すーさん”は現看護師だ。僕の知る医療従事者はやはりこの傾向が非常に多いのだが自身の体の性別に合わせて仕事をしている。仕事での立ち回りや制服など性差の在り方がはっきりとした職業であるがゆえにカミングアウトはせず、その姿で働く方が波立たず楽だという。例えば男性看護師だと女性の患者さんから入浴介助等の拒否が入ることや、男性看護師というだけで悪目立ちしやすく、女性看護師からの必要以上の指摘をされることもあるらしい。
看護学校にて精神看護学、医学的知識によるセクシャルマイノリティの教育があるため多少知識はあるが、間違った認識をもっていることもあり、同性愛者と知ると苦手意識がある方からは気持ち悪がられることもあるという。
院内で患者さんと身の上話をする機会もなかなかないと思うが、その分見た目で判断されやすく、精神的にデリケートになっている相手を気遣う上で見た目を世間体にあわせるということはかなり重要なようだ。
多くは語らない“すーさん”だが、僕は彼なりの不器用さと意志の強さ、前向きさがとても好きで尊敬しているし、不器用故の人生経験からにじみ出る繊細さが素敵だと思う。
八田らへんでせっかく名古屋にきたので観光をするというもう一つのミッション達成のため、“すーさん”とお別れ。逆に豊橋から来た“せな”と合流した。“せな”は東京で一度会っている。性別不詳で、似た境遇の元育ったため意気投合。名古屋を通るときは必ず会おうと約束していた。“あお”、“悠生”、“せな”と4人で歩く。方言のベースは同じなのに岐阜、愛知県北、愛知県南で「そっちではいうけど、こっちではいわない!」という話で盛り上がった。
名古屋から蟹江駅まで10km行ったところで、三人とはお別れ。
最初はすこし人見知りをしながら敬語で話していたが、気づいたら笑いながら話すようになっていた。歩くというのは話す程度の余裕はあるが、一緒に疲れることができる。
精神的にも身体的にも共有できるものが多いと思っている。色んな背景を持っていても同じ目的を同じペースで進めていくことで信頼関係は築けるのだろうなと考えながら、近くのコンビニでおにぎりをほおばった。
一人で歩いていると、“かんた”から連絡があった。たまたま近くに寄っていて一緒に歩いても良いですか、と。永和駅で合流し、ともに桑名を目指す。“かんた”は実は“みなと”の中学の部活の後輩だ。二人は当時顔なじみ程度でとくに親しかったわけではないが、社会人になった後、女子大小路の当事者が営むバーで再会し、それ以来から仲良くなったという。
狭いコミュニティだからこそ有名店に出入りしていると顔見知りと偶然再会することは珍しいことではない。世の中では「私の周りにはいません。」と言い切る人もいるが、そういう人は縁がなく可視化されていないだけで、コミュニティに出入りすると多様な当事者が社会に多く存在していていかに浸透しているかわかる。
“かんた”はリュックを背負いたいと言ってくれたので、お言葉に甘えて預けた。とてもエネルギッシュで、道中ほとんど休憩することなく永和駅から桑名駅まで10キロ歩いた。
道中にある木曽三川を超える大橋は歩道が狭く横風にものすごく煽られるし、川の水面からは20mぐらい高さがあって終始ひやひやした。
桑名からは初日に一緒に歩いた“じょーじ”が東京からきて三日間一緒に歩いてくれる予定のため、“じょーじ”の新幹線に合わせて今夜は名古屋に戻り一泊することにした。というのは実は言い訳で桑名につく数キロ手前で名古屋が名残惜しくなり、桑名に徒歩で到着次第名古屋に戻ることにした。マイルールでは踏破した場所は公共交通機関の利用はOKとしている。“りお”(前章参照)の店に夕飯がてらふらっとよって、夜は“かんた”と“みなと”と一緒に過ごした。今でも“りお”と“みなと”の驚いた顔が忘れられない。
ぼくは人といるのが本当に好きだ。
高校生コラム “伊織”
PROFILE
れいれい
1995年4月12日生まれ。男でも女でもないXジェンダー。恋愛対象はパンセクシャル(恋愛対象に性別を拘らない。)。
香港人の母と日本人の父の間に生まれ、幼少期より海外で過ごし国際的な文化圏で育つ。
物心がついた時から性違和を感じるも答えが見つからず、20代に入ってどちらでもないという概念に行きつく。
現在ではジェンダーフリーデザイナーとして、アパレルブランド「RAY RAY」、ボーダーフリーイベント「れいパ」をオーガナイズしている。