TALK
人生と旅は選択の連続 東京→鹿児島 1,300km歩いて日本を繋ぐ 第14章
男でも女でもないXジェンダー”れいれいさん”
自ら鹿児島まで歩き、様々な人々の暖かさに触れあい支えられながらの旅。
LGBTs啓蒙活動を続け、地方に住む当事者たちと出会ったことで見えてきた「LGBTsの現状」をお伝えする。
再会もあれば別れもある、旅と人生は似た者同士。
旅が始まって41日目。ようやく熊本にたどり着き一泊。この日は“なお”と“碧”に会いに市内へ。“なお”とは知り合って三年以上たっており、東京と福岡のれいパにも参加してくれた。
“碧”は当時熊本に住む高校生で、ツイッターを見て会いに来てくれた。
その後駆けつけてくれたのは“ゆうせいくん”と“しょうちゃん”。2人は夫婦だ。
二人とは初対面だったがなんと“ごく”との知り合いでもあり地方ならではのコミュニティの狭さを感じた。
夜は“ゆうせいくん”と“しょうちゃん”にゲイのオーナーが務める和食屋さんに連れて行ってもらった。
翌日、いよいよ熊本から鹿児島まで歩き出す。この日は熊本から八代まで約35km歩く。
二月も下旬に入り九州はすでに暖かい陽気に包まれていて歩きやすかった。
日が暮れる前には八代に到着し“ゆうせいくん”の家で一泊することに。
家にお邪魔したところなんとサプライズで“なお”の姿が。“しょうちゃん”と偶然街中であったらしく、流れで遊びに来てくれたらしい。
みんなで夕飯をたべ、解散して“ゆうせいくん”と二人で話していた時だった。
父親からの突然の連絡。
「お祖母ちゃんが息を引き取りました。」
数日前まで元気な姿をみていたし、急すぎて飲み込めなかった。
急遽旅を中断し翌日福岡へ戻ることになったが私は体調が悪くなり嘔吐と腹痛を繰り返していた。
思い返せば祖父の葬式の時も急な腹痛に見舞われ飛行機に乗り遅れかけたことがあった。まだ二度しか葬式に行ったことはないが、決まって体調が悪くなることから「来るな」と言われているのかと錯覚するほどだ。
あまり眠ることはできなかったが“ゆうせいくん”と“しょうちゃん”のおかげもあり、翌日にはなんとか福岡へと戻ることができた。
父にまた会いに行ってあげてほしいと連絡をしたばかりだったのに祖母の訃報をきいて私はやはり受け入れることができなかった。
認知症の祖母が私の顔を見て実子の父を思い出し気にかけていた祖母の大切な想いを本人から伝えることができないまま亡くなってしまったことが苦しかった。
私は一切スピリチュアルなものを信じないが旅の間、福岡に着いたら祖母に会わなければならないと頭の片隅で思っていたのはきっとこの日のためだったのかもしれない。
祖父が亡くなってから数年一人だった祖母も90を超え大往生ともいえる。
どうか安らかに。
九州最後の一歩。
通夜と葬式を経て、しばらく福岡で滞在していたころ、“りく”が会いに来てくれた。“りく”とは福岡のれいパで会ったことがあるのだが、あまり話す機会がなかったため今回ようやく、ゆっくり話を聞くことができた。関東へ引っ越すこともあり、またそちらでも会うことができそうだ。
その後、熊本に戻り旅を再開する。
ちょうど“ひーくん”とタイミングが合い、薩摩川内まで連れて行ってくれた。
同日に徒歩でさらに進むつもりだったが雨が降り続けていたため断念。薩摩川内で一泊することとなる。
“ひーくん”は福岡の“なー”、“いちくん”、“ぽーた”と仲がいいメンツの一人で、東京と福岡のれいパにも参加してくれたことがあり、気さくで優しい雰囲気から分け隔てなく人と関わる姿から九州の中で比較的若い当事者のコミュニティを作っている一人だと思っている。
翌日“ひーくん”とはお別れ、日置市の伊集院に向かって進む。この日はかなり日照りも強く暑かった。こんな田舎だと歩いている人の方が珍しいのだが、道中にあった酒造からでてきた子がしばらく前を歩いていたのでペースを上げて声をかけてみた。
案の定地元の人ではなく焼酎が好きで東京から酒造巡りをしているという。
その後はしばらく一緒に歩いてくれることになり、旅の経緯などを話した。
たまたまこの日の同じ時間に同じ場所にいた他人と話してお互いの好きなものや特性を共有できるということが素晴らしいと感じた。
その子と別れ、昼食をとろうと思っていたところ、“いつき”から連絡があり、近くにいるのでよかったら温泉にいきませんかと誘ってくれた。温泉といってもトランスや性別不詳にとって男女に分かれた空間に入るのは抵抗があり、あくまでも家族風呂を使う。
公共の浴場というのは自分自身や空間を共有する他人との認識が違うため、公共トイレと同じく常に性別の問題が付きまとう。ほとんどの当事者がそういった問題に配慮をして極力避けるか、体の形に合わせて割り切る方もいる。
私は幸い大衆浴場が得意ではないので家族風呂でちょうどよい。お互い時間を決めて湯之元にある温泉でリフレッシュすることができた。
かなり長旅でゆっくりと湯につかる時間もなかったので誘ってくれた“いつき”、そして一緒に付き合ってくれたパートナーさんにも感謝している。
その後日置市の伊集院まで送ってもらい、いよいよ鹿児島市内目前となった。
鹿児島中央駅へ向かう最終日はあいにく曇り後雨。なるべく足早に向かう。とはいっても20キロほどしかないので比較的余裕だった。
鹿児島実業高校の横を通ると大きな桜島が見えてくる。
曇りがちだったがその大きさには圧巻だったと同時に、駅に着くよりも桜島のほうがいよいよ鹿児島にたどり着いたのだなと実感がわいていた。
ここからはほとんどくだり坂なので楽だった。正直九州は平たんな場所が少なく起伏が激しいため、道も曲がりくねっていて距離が長くなるので今回のゲームの中でもっとも
難易度が高い場所ともいえる。
駅に着くと同時に本降りで雨が降り始める。くたくただったので夕飯をさっとすまし、布団に沈んだ。
鹿児島入りどころか関東から出られるかすら不安だった初日を思い返し実感がわかないまま鹿児島にいた。ここまでの旅は本当にたくさんの人との出会いと、そのサポートのおかげで成り立っている。自分が本気になってやりたいことは無理だという人もいるが、応援してくれる人が必ずいるということ。むしろ始めてしまえばサポートしてくれる人の方が多いのだ。だって無理だと言われたことを一歩でも成功させているのだから。
初めの一歩。いまやりたいことや始めたいことを悩んでいる人は何の根拠もなく一歩を踏み出してみてほしい。
PROFILE
れいれい
1995年4月12日生まれ。男でも女でもないXジェンダー。恋愛対象はパンセクシャル(恋愛対象に性別を拘らない。)。
香港人の母と日本人の父の間に生まれ、幼少期より海外で過ごし国際的な文化圏で育つ。
物心がついた時から性違和を感じるも答えが見つからず、20代に入ってどちらでもないという概念に行きつく。
現在ではジェンダーフリーデザイナーとして、アパレルブランド「RAY RAY」、ボーダーフリーイベント「れいパ」をオーガナイズしている。