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人生と旅は選択の連続 東京→鹿児島 1,300km歩いて日本を繋ぐ 第13章

 男でも女でもないXジェンダー”れいれいさん”
自ら鹿児島まで歩き、様々な人々の暖かさに触れあい支えられながらの旅。
LGBTs啓蒙活動を続け、地方に住む当事者たちと出会ったことで見えてきた「LGBTsの現状」をお伝えする。 

九州入り達成、旅も大詰め!

旅が始まって36日、深夜に福岡へ到着。
”よう”のおかげであっという間に九州入り。

足の様子を見ながら数日博多に泊まることにした。
翌朝は”みーか”が会いに来てくれた。
”みーか”とはかなり長い付き合いで数年前に”みーか”が海外留学していたときからツイッターでつながっていた。2年以上は連絡を取りつつもタイミング合わず会うことがなかったが福岡のれいパに来てくれてようやく会うことができた。
今回も忙しい予定の合間を縫ってわざわざ会いに来てくれたのだ。

(“みーか”)

翌日は”なー”と”いちくん”が福岡の担当を代表して撮影に参加してくれた。
広島で預かった縁結びのお守りを渡し、福岡名物にわかせんべいとにわかアイマスクを受け取る。
私にとって福岡と言えば”なー”と言えるぐらいかなり長い付き合いになるのだが、”いちくん”と知り合うきっかけになったのも”なー”のおかげだ。

この二人は福岡でもなーすんお楽しみ会という企画をしており、九州をベースにコミュニティを形成している。エネルギッシュな二人に惹かれて勇気づけられる人は多いと感じている。

(”いちくん”と”なー”)

実はこの日”みゆ”が会いに来てくれたのだが、”みゆ”もなーすんお楽しみ会で知り合っている。


(”みゆ”)

旅の途中ルーツへ帰る

いよいよ都市での連続滞在タイムリミットの三日目となるが、ここまできたのだから行けるところまで行こうという気持ちになり動き出す。
実は自分のルーツは福岡であり、祖父母の家がある。祖父は数年前に亡くなっており祖母しかいないのだが、この旅の期間中なぜか絶対に祖母に会いに行かなければという使命感があった。
一緒に住んでいる叔父叔母に連絡をし、出発の直前に会いに行くことにした。
家についてまず叔父から祖母の状況を聞くことになった。
どうやら認知症が進み、人への認識力が低下しているらしい。
そのため特に長い年月会ってない人に関しては忘れている可能性があるため、そこは覚悟しなさいとのことだった。

私の家はただでさえ転勤族だったので、祖父母と会った回数は指で数えられる程度だ。
忘れられていたとしても仕方がない。それでも会うと伝え、祖母の部屋へ移動した。
そこにはみかんを食べる祖母が座っていた。最後に会ったのは祖父の葬式以来だろうか。
一人で過ごすようになった祖母は少し暗い顔をしていた気がする。

祖母に自分の名前を伝える。
祖母は誰だろうという顔をして固まっていたが数分後に思い出したのか、明るい声で「元気にしてたか」と話しかけてくれた。父がまだ海外にいることや母のこともしっかり覚えており、たどたどしい受け答えではあったが少し会話ができたことが嬉しかった。

一緒にいたのは10分か15分ぐらいだったか。
部屋をあとにして両親に祖母の近況を伝えた。父にはそろそろ会いに行ってほしいとラインを送った。

(祖母)

祖父母の家をあとにし、今日は久留米を目指して歩く予定だ。
一緒に”ぽーた”が歩いてくれた。
”ぽーた”も”なー”や”いちくん”たちと仲が良く、福岡に帰るとよく遊んでくれるメンバーの一人だ。

(”ぽーた”)

大宰府を越え筑紫野市に入りしばらく行ったところで仕事あがりの”しゅう”がそのままもう一つ先の目的地だった大牟田まで運んでくれた。
”しゅう”は東京と福岡のれいパに来てくれたことがあり、”ぽーた”とも面識がある。
みんな顔なじみだからこそドライブ中も楽しく過ごせた。
どうにかみんな最後の目的地である鹿児島までたどり着けるように力を貸してくれて、人の温かさをどこまでも感じる旅になっていた。

(”ぽーた”と”しゅう”)

大牟田では仕事終わりの”けい”がわざわざ博多から追いかけて会いに来てくれた。
”けい”も東京と福岡のれいパに参加しておりみんな顔なじみだ。
読者の皆さんはうすうす感づいてるかもしれないが、福岡ではほとんどの登場人物が性別と年齢が不詳である。人によっては本名も素性もほとんど知らない。
あえて知る必要もないし、詮索することもなくお互い仲良くなることもできる。苦楽を共にすることができるということを証明できているのではないだろうか。

一晩明け大牟田から歩き出す。今日は熊本を目指して進んでいく。距離にして約45キロ。
日中は晴天。晴れた青空の下を歩いていく。
荒尾市に入ってしばらく地図を見ていると正面から地元の人が声をかけてくださった。
「旅しよんのか、これやるよ。」
袋を見るとたくさんの缶コーヒー。お礼をいう頃には背中を向けて立ち去って行った。
地図の続きを見ながらしばらくまた進んでいくと偶然その方と再会した。
てっきりついてきたと思われたようで、
「どうした!」
と驚かれた。

しばらく旅の目的や事情について話した後、近くに足湯ができる公園があるから運ぶよと申し出てくれた。
この方は三人のお子さんがいらっしゃるようで、上京して働いているらしい。
「頑張っている若者を見かけたら自分の子供を思い出して声をかけずにはいられない。」
そういう思いでコーヒーをくれたと語ってくれた。
ビールもあるから持ってきなと、さらにいただいた。

この後仕事のため、立願寺公園足湯でお別れ。
寡黙な方ではあったが、最後に写真撮影をお願いしてようやく照れ笑いを見せてくれた。

(立願寺公園までのせてくれた方)

世論と現実の差

一時間ほど足湯につかり、南下を続ける。残すところ27キロ。
この日の午後から雲行きが怪しく雨が振り始めた。
旅が始まって以来一番大きい雨だった。
フードをかぶり雨の中を歩き続けていると後ろから自分の名前を呼ばれた気がした。
気のせいだろうと思っていたら呼ばれる声が少しずつ大きくなり、振り返るとそこには雨の中走りながら名前を呼んでくれた”わんこさん”がいた。
”わんこさん”は出会った時点ではSNSで繋がっておらず、たまたま流れてくるツイートを見て旅の企画を知ったという。この日大牟田から熊本まで歩いているという情報を頼りにきっとこの辺を歩いているだろうという推測のみで探してくれたらしい。
よかったら乗っていきませんかと申し出てくださり、必要なものありませんかとコンビニの栄養補助食を端から端まで買ってくださったことがとても印象深かった。

本人曰く地元ではLGBTQのような言葉すら浸透しておらず、当然本人もカミングアウトはしていない。
世の中では多様性やパートナーシップという言葉が上がる中、
「恋愛に性別なんて関係ないといえば笑われるか引かれるか、それがまだまだ田舎の現実です。」と語っていた。

(”わんこさん”)

ほどなくして”バニーさん”が熊本駅まで乗り継ぎで迎えに来てくれた。”バニーさん”はFTMゲイであることを公表しており出産を経験している。
性適合手術を終えているが、戸籍の性別変更をしていない。裁判所の規定上、未成年の子供がいる場合は性別の変更を行うことができない。そのほかの要件に、日本では同性婚が認められていないため、すでに婚姻をしていると戸籍変更を行うことができなかったりもする。

つまり婚姻と出産後に性自認に気づいたり、治療を開始すると社会制度のほうが邪魔をしてくることになる。
日常生活ではパス度(性自認に合った容姿)が高くとも、行政などの制度を利用するにあたっては不便が生じることとなる。

(”バニーさん”)

熊本では”ごく”の家でお世話になった。
”ごく”は東京と福岡のれいパで会っており、数年前から知っていた。
今回熊本の担当も引き受けてくれている。福岡からはにわかせんべいを、熊本からはくまもんのキーホルダーと”ごく”のもう一つの故郷であるタイの小物入れをあわせて運ぶ。

(”ごく”)

もう間もなく九州制覇となるがまさかの事態がここで待ち受けていた。
次章もお楽しみに。

PROFILE

れいれい

1995年4月12日生まれ。男でも女でもないXジェンダー。恋愛対象はパンセクシャル(恋愛対象に性別を拘らない。)。
香港人の母と日本人の父の間に生まれ、幼少期より海外で過ごし国際的な文化圏で育つ。
物心がついた時から性違和を感じるも答えが見つからず、20代に入ってどちらでもないという概念に行きつく。
現在ではジェンダーフリーデザイナーとして、アパレルブランド「RAY RAY」、ボーダーフリーイベント「れいパ」をオーガナイズしている。

Twitter@rayhung0412
RAY RAY ray-ray.online/

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