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人生と旅は選択の連続 東京→鹿児島 1,300km歩いて日本を繋ぐ 最終章

 男でも女でもないXジェンダー”れいれいさん”
自ら鹿児島まで歩き、様々な人々の暖かさに触れあい支えられながらの旅。
LGBTs啓蒙活動を続け、地方に住む当事者たちと出会ったことで見えてきた「LGBTsの現状」をお伝えする。 

日本はもう徒歩圏内

旅が始まって52日、この日は鹿児島での荷物の受け渡しをする。鹿児島担当は”あっちゃん”。友達の”さなちゃん”も一緒に来てくれた。”あっちゃん”はシンガーソングライターをしていて、この日もマリンポートへと向かい”あっちゃん”の歌をきいたり皆で歌ったりした。

熊本から運んだくまもんのキーホルダーとタイからの小物入れを渡し、東京行きで最後の荷物でもあるあっちゃんのファーストアルバムを受け取る。

(“さなちゃん”と”あっちゃん”)

マリンポートから戻ると鹿児島中央駅では”やっちんさん”とワンコの”こっちゃん”が会いに来てくれた。”やっちんさん”はもともと関東の人だったがパートナーと一緒になるために鹿児島に移住してきたという。

(”やっちんさん”と”こっちゃん”)

その後、旧知の仲である友人と夕飯にでかけた。本人も当事者ではあるが、なかなか男でも女でもないという部分や、パンセクシャル(全性愛者)であるということがうまく伝わらずたびたび誤解をうけることがあったが、諦めずに理解しようといつも向き合ってくれていた。 関わることを諦めるのではなく、自分の存在について理解を進めようと向き合う姿勢を持った人はいつでも大切だ。

(ともだち)

寄り添うということ

翌日は新幹線で福岡まで戻り、兵庫のはっぴーの家で知り合った”原田さん”(10章参照)に会いに長崎へと向かった。佐世保駅では、変わらずスーツ姿で強面の”原田さん”は、
「佐世保によく来たねー!」
と出迎えてくれた。
その後は”原田さん”の行っている様々な取り組みを紹介していただくべく所長を務めている”中村さん”と共に様々な事業所をまわらせていただいた。

(右から”原田さん”と”中村さん”)

宮共生会の会長である”原田さん”は地元佐世保に数多くの事業所を設立し、地域の福祉や自立支援に携わっている。その仕組みはただ介助をする形の支援ではなく、社会貢献につながっている。介助を行う福祉の他、”原田さん”は様々な事業を営んでおり、農作業をはじめ、とれた作物を加工し弁当として販売したり、カフェ経営やチョコレート屋さんのフランチャイズ、その他軽作業等で当事者を雇用し給料として労働対価に還元している。
当人のサポートはもちろんのことだが、社会での困りごとに寄り添い、その解決策を編み出せることこそ最も同じ目線で一緒に考えているということではないだろうか。
実は宮共生会ではFTMの当事者も働いており、お会いして少しお話しする機会をいただいた。”原田さん”はLGBTQなどに詳しいわけではなく、当事者の雇用を推進していたわけでもないが、自分とあってそういえばうちにも当事者がいた気がするという具合で思い出されていた。その人の性別や境遇、過去からその待遇を決めるわけではなく、できることを一緒に考えている姿こそ「特別扱い」でも「例外」でもなく公平に向き合う経営者というスタンスだと感じた。

私が行っているれいパも、最初は当事者の友達を作りたいと思っている人が安心して集まれる場にしようと始めたのだが、当初はマイノリティしかいない環境だった。もちろん、近い性質をもった仲間で集まることでコミュニティの絆は同調によって深まると考えていたのだが、自分たちとそれ以外のマジョリティという見えないボーダーが引かれていくことに疑問を感じていた。その同調がより一層、社会や自分と違う性質をもった他者を受け入れられなくするのではないかと感じていた。
そして他者を尊重できる人たちが集まれば他の境遇や性質をもった相手にも尊重できるという仮説をもとに性別や性的趣向にとどまらず、私が接して他者を尊重できると感じたマジョリティやまったくセクシャリティに関係のない人を招待し始めたところ、イベントの回数を重ねるごとに評判があがっていき、予想していた通り持っている性質よりも人間性の方が重要だったことが証明された。
”原田さん”のように色んな事を成し遂げ続けている人の活躍を見て自分がやっていることを振り返るいいきっかけだし、学びも多く、自信へとつながる。
一日かけて事業所を回った後は各事業所で働いているメンバーと共に夕食を過ごさせていただいた。
みんな”原田さん”を慕っていることがよくわかるしとても信頼されていて、経営者として見習うべきところが多いと感じた長崎滞在だった。

(”原田さん”を支える皆さん)

あとは帰るだけ…

福岡へ戻るとタイミングが合ったので”ゆうくん”が会いに来てくれた。”ゆうくん”はツイッターではつながっていたが初対面だった。少し緊張していたようだが、しばらく話して打ち解けた。

(”ゆうくん”)

正直歩いている間は早く帰りたかったのだが鹿児島にたどり着いてからもう帰るだけとなると不思議と名残惜しく、すぐに帰りたくなかった。
50日かけて作り上げたつながりは歩いていなければ手に入れることはできなかったが、交通機関をつかえば数時間で帰れてしまうあっけなさを恐れていた。
悩んだ結果、福岡の次は神戸でしばらく過ごして気が済んだら帰ることにした。

神戸では担当でもあった”あか”、観光バーの”ランス”やはっぴーの家の”みゆきち”、”よしくん”をはじめ、他のメンバーとも再会した。
行きと違い、ゆったりとすごせる時間に感謝しつつも東京へ戻るタイムリミットは迫っていた。

日本を半分歩いただけでも新幹線や飛行機などの発明に感謝できる。いくら道は続いているとはいえ、アスファルトは人が歩くためのものではなく、車が走るためのものだということもよくわかるほど足への負担は大きかった。

東京へ戻ると”りん”がわざわざ駅まで出迎えてくれた。”りん”はれいパにもよく来てくれるし、うちのアパレルブランドを愛用していただいている。

(”りん”)

後日、東京担当の”ようじん”と出発地であった東京駅で再会。
「よく帰ってきたね~!本当にお疲れ様。」
と抱きしめてくれた。

(”ようじん”)

最後のミッションである鹿児島の荷物を無事東京で渡し、全ての行程が終了。
おおよそ2か月近い徒歩旅はここで幕を閉じる。
どこまで行けるか不安だった気持ちは気づけばどこかに行き、小さな一歩の積み重ねで大きな経験を成し遂げた充足感と自信に変わっていた。本当に体が動くうちに体験できてよかった。
のべ1300km。今のところ…いやきっと今後も人生でもっとも歩いた年になるのでしょう。

(東京から鹿児島)

歩いて思ったこと。

多くの当事者が都市部、地方に関わらず様々なところにいることも証明できたと同時に、掲載していない出会いも含めてのべ200名以上の人とこの旅で関わった。
その中でやはり都会ほどコミュニティは成熟しており、そのなかでもどの地域だろうと東京に集まるのだなと感じた。東京の次は大阪、そして福岡の順にコミュニティが出来上がっていると感じた。
旅とは別に沖縄に行く機会もあったのだが、沖縄にも東京に次ぐ大きなコミュニティが那覇にある。しかしこういったコミュニティにはやはりイベントや飲食店の印象が強く、商売が成り立つ場所でしかやはり成長していかない傾向があると感じた。

興味深いことに当事者同士の出会い方も都会と地方で違う。
都会では当事者向けのイベントや飲食店を通じて共通の知り合いが増えるのに対して、地方では中学高校の知り合い、部活動の対戦相手だったなど学生時代での繋がりである傾向にある。後者は社会に出てから触れるコミュニティが都会にしかないため、都会まで出て行ってコミュニティを広げる人もいれば、地方に留まり興味を示さない人に分かれていく結果、地方ではコミュニティが広がっていかないという結果に至ると考えられる。

同様に地方における認知度にもここで大きく影響してくる。都会に場所があるのであれば理解度が低いもしくは受け入れられにくい環境に留まる必要性がなくなり、都会へ人が流れていくことになる。つまり地方における理解度は学校教育や家庭での過ごし方にとても影響するといっても過言ではない。その反面、SNSやインターネットが普及した現代では地方の若者もいつでも新たな知識を手に入れる敷居が低く私が徒歩で証明した通り地方にも数多くの当事者が孤立し、むしろSNSに価値を見出す当事者も多いことがわかっている。

今回の経験を経て、社会人のための当事者の場だけでなく、学校教育や若い世代にとっての環境もまだまだ構築していく必要があるということがわかった。
イベントにこれない地方在住の当事者の声を生で聞き、どう過ごしているのか、どう感じているのか知ることができたのは私にとってこの旅の一番の成果であり、財産である。

私は活動家ではないが、自分ができる範囲で小さな変化をこれからもたくさん起こしていきたいと考えている。
『ダイバーシティ』よりも『オールジェンダー』として様々な方が過ごしやすい世界に変化していけるよう、社会貢献していく。

最後に、この旅を支えてくれて多くの声援を送っていただいたフォロワーの皆さんと実際に足を運んで会いに来てくださった多くの方、そして旅のコラムの連載をもちかけてくださった『自分らしく生きるプロジェクト』に感謝の意を示して締めくくりたいと思う。

一年に及ぶ本連載をご愛読いただき、ありがとうございました。

旅の映像や荷物を受け渡すときの様子などはYoutubeのプレイリストから一気見できるので ご興味ある方はぜひ。
できれば最初の映像は懺悔なので見ないでいただきたい・・・・・。笑
https://youtube.com/playlist?list=PLpUNfxYXhuo9LVQKDy5m4kqLIHeKlgTsc

PROFILE

れいれい

1995年4月12日生まれ。男でも女でもないXジェンダー。恋愛対象はパンセクシャル(恋愛対象に性別を拘らない。)。
香港人の母と日本人の父の間に生まれ、幼少期より海外で過ごし国際的な文化圏で育つ。
物心がついた時から性違和を感じるも答えが見つからず、20代に入ってどちらでもないという概念に行きつく。
現在ではジェンダーフリーデザイナーとして、アパレルブランド「RAY RAY」、ボーダーフリーイベント「れいパ」をオーガナイズしている。

Twitter@rayhung0412
RAY RAY ray-ray.online/

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