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二丁目コミュニティは我が子の学び場! LGBTQコンテンツプランナー・NANAさんが目指す「自分らしさ」を愛せる社会とは?
ゲイDJとの出会いがきっかけで10代から新宿二丁目へと足を運び、ゴーゴーダンサーやイベントの立ち上げなどクラブシーンで活躍してきたNANAさん。現在はクラブイベントに携わりつつLGBTQにまつわるコンテンツや、性教育などの企画監修・PRを手がけるフリーランスのクリエイターで、一児の母。
親子二人で新宿二丁目を訪れることも少なくないようで、NANAさんを含めLGBTsが身近にいる生活を送る4歳のお子さんはセクシュアリティやジェンダーに対する「当たり前」の考えがなく、自由な思考でのびのびと生きているように見える。
今回はNANAさんにLGBTsである一人の母親として今、子どもたちにできること、そして子を持ったからこそ気づけたLGBTsが置かれている環境、目指す未来について話を伺った。
「クラブカルチャーを通して、いつしか新宿二丁目が自分の居場所になっていた」
NANAさんを育てた両親の主体性を重んじる教育
六本木界隈のナイトクラブに足繁く通っていた10代の頃に出会った、ゲイのDJに誘われクラブイベントを訪れたことが、私の人生と新宿二丁目が交わる最初のきっかけでした。当時はレズビアンという自覚があって、二丁目については多少なりとも知ってはいましたが、遊び場として考えたことはなかったです。ただ一歩足を踏み入れてみると、この街のクラブカルチャーはとても刺激的で、程なくしてレズビアンパーティのゴーゴーダンサーとしてお立ち台に上がったり、イベント運営サイドとして裏方のお仕事を始めたり…。とにかく「楽しそう!」と思えることに携わっていくうちに、深く二丁目のコミュニティへ属するようになっていきました。
当時、母は新宿二丁目界隈で私が働いていることを知っていたのですが止める様子はもちろん、女性を恋人と紹介しても特に驚く様子を見せませんでした。ごくごく自然に受け入れてくれて、いつの間にか私のゲイの友人とメールする仲になっていたことも(笑)。振り返ると、中学一年生の時に「皆と同じ服を着て、集団行動をするなんて嫌」と通信で学ぶことを選択した時も「学校に行かなくても、大人にはなれるから」と私を尊重する立場をとってくれて。少年野球のコーチを務めていた父は活発だった幼少期の私に野球用グローブをプレゼントしてくれました。
「女の子だったら、女の子らしくしなさい」と言われた経験もありませんね。「普通」「当たり前」という考えを押し付けず、良い意味で放任主義というか、自身の行動で招いた結果は自分で責任を取るといった本当の意味で「自由」を大切にする両親だったので、私が何をしても、誰が好きでもそこに私自身の意思があれば介入する必要はないという考えがあったんじゃないかと思っています。紹介する恋人はほとんど女性だったので「あなたには結婚を求めるようなことは言わないから、心配しなくて良いから」と負い目に感じないように、声をかけてくれていたぐらいですから。
それだけに私が男性とお付き合いしていること、そしてその方と結婚をすることを両親へ報告した時は、流石に驚きを隠せなかったようです。社会全体でLGBTsに関する知識が浅かった時代はレズビアンだと自覚する一方、徐々にセクシュアリティ、ジェンダーに捉われずトランスジェンダーの方や男性の方にも恋愛感情を抱くようになる自分…。セクシュアリティの揺らぎを感じる日々の中で「私のセクシュアリティって何?」と悩んだ時期もありましたが、LGBTsへの理解が加速する社会の中でパンセクシュアルの存在を知り、心が晴れやかな気持ちになりました。そうしたセクシュアリティの気付きもありつつ2015年、元夫との間にこの子が生まれました。
LGBTsの存在が身近に感じられる子育て環境がフラットな感性を育てる一方で、
教育現場で考えさせられた幼少期のジェンダー・セクシュアリティの在り方
今年で5歳になる我が子は、LGBTsコミュニティの中で元気に育っています。ただ、セクシュアリティやジェンダーについて私の口から何か特別に教えることはしていません。それは「ゲイ」という言葉一つとって考えてみても、最初に言葉の意味を知るか、実際に当時者に会うかでは全く違った印象を持つと思っているから。肩書きやセクシュアリティ、ジェンダーなどあらゆる「違い」を「個性」として捉え、「既成概念」というフィルターを通さずコミュニケーションが取れる人間へ成長するために、LGBTsが身近にいる環境というのは子育てにふさわしい環境ではないでしょうか。彼ら彼女らと接していく中で子ども自身が見たもの、感じ取ったものが全てであって、多様な社会とは言い切れない中で生きてきた私が無意識にした言動で偏った考えを身につけて欲しくはないという気持ちからの子育て方針でもあります。
今年、レズビアンカップルの結婚式に参列させていただく機会がありまして、人生で始めて式に出席した感想を我が子に聞いてみたら開口一番で「料理が美味しかった!」と話し、その後も女性同士で結婚式を挙げることに対して疑問を抱いている様子はなかったです。こういった環境が好影響をしているのかは分からないですが、嬉しい反応でした。また新宿で手を繋ぐゲイカップルの方たちとすれ違った時も、周囲のご家族の中には「男同士で手を繋ぐなんて、おかしいね」と話をされている親子の声も聞こえたのですが、我が子は「ママ見て!仲良しさん!」とセクシュアリティやジェンダーに関する偏った見方がなく、誰が誰を好きであろうと愛には変わりないというこの子なりの意識が芽生え始めているのかもしれません。
そんな豊かな感性を養いつつある我が子ですが、教育や同年代の子どもとのコミュニケーションを取る練習も兼ねて通わせている保育園で、ちょっとした事件が起こりまして(笑)。それは、お内裏様とお雛様を折り紙で工作する授業での出来事。クラスの皆がお内裏様を青やグリーン、お雛様を赤やピンクで工作する中で、我が子だけ赤でお内裏様、青でお雛様を作ったそうなのですが、とある先生に「色、間違えてるよ」と言われたそうなんです。赤色はヒーロー戦隊のリーダーという我が子の認識は正解、不正解で決められることはないと思うのですが、赤は女性という先生の固定観念を疑問に思ったので、保育園を訪れた際に聞いてみたんです。
結果、彼女は非常勤の保育士で園の方針を100%理解していなかった状況下での発言だったそう。咎めるつもりはないのですが、保護者の目が届かない場所の教育も家庭内での子育てと同様とても大切な時間ですので、そういった親といる時間以外での他者の発言が我が子の今後の人生観にも影響してくると考えると、少し不安にはなります。ただ、その時に園長先生から「くん」や「ちゃん」といった敬称を「さん」で統一したり、名簿欄も男女で分けず混同で五十音順にしたりと、教育委員会を主体としてLGBTsに配慮した教育環境の整備が小学校入学前の子どもたちに向けられ始めていると教えていただけたのは、私自身一つの学びのきっかけとなりました。疑問に感じたことを話し合う場というのはお互いが成長のために大切なことだと改めて考えさせられる経験でした。
その他にも保育園は気づきがある場所で我が子の送り迎えの際に、他の園児から「なんでママなのにピンクの髪の毛しているの?」「お母さんがネイルして良いの?」など言われ、「お母さん」「お父さん」らしさ、ひいては女性、男性らしさのようなものが子どもたちの無意識の中にあるのはどうなのだろうと考えさせられた時もありましたね。
今を生きる子どもたちが自分らしく生きられる環境づくりのために
今、取り組むべきこととは?
次の世代を担う子どもたちが当たり前のように多様な生き方を選択できる社会になるには、やはり企業や教育機関において大人や親御さんに向けたLGBTsに関する研修やレクリエーションの場をより広げていく必要があるのではという考えが強くなりました。子どもにとっては親の考えや言葉というのは大きな影響力を持ち合わせていますし、全ての世代がLGBTsに対する考え方や知識を養わなければ、次の世代にもマイノリティに対して偏った考えが引き継がれてしまう可能性もあります。そういったこともあって昨年、『TOKYO RAINBOW PRIDE 2019』の一環で「Youth & Family Pride」という親がLGBTs、もしくは子がLGBTsである方たちに向けて双方の理解を深めることを目的としたイベントの企画サポートをしました。
このようなLGBTQコンテンツをディレクションすることや自分自身の存在をSNSで発信することは、我が子を守るためでもあります。もし我が子から自分の心の性と身体の性に違和感を感じると心の内を打ち明けられ時がきたら、母子手帳の空白のままの性別欄を見せ、男性が好きと言われたら「実はママも女性と恋に落ちたことがあってね…」と過去の恋愛の話をして「あなたは間違っていない」と全力で味方でいようという気持ちはあります。ただ、24時間側にいることは難しいし、成長と共に学校や会社など今よりもっと多くのコミュニティで時間を過ごすことになる。その時に例え私が味方でいても、社会全体がLGBTsの存在を正しく理解して受け入れる姿勢でない限り、きっとこの先もLGBTsが自分らしく生きる選択肢を広げるということは難しいはず。
そんな息苦しさの残る社会から脱却すべく、今はお互いの違いを認め理解し合える心を持つ方たちが一人でも多くなるようにLGBTsである私自身や家族が笑顔で幸せに暮らしているということ、そして今後もディレクションしていくであろうLGBTQコンテンツなどを通して、最終的には誰もが自分自身、そして身の周りにいる人たちの存在を肯定できる社会を目指していきます。
PROFILE
NANA
東京都出身。1999年よりゴーゴーダンサーやイベントの立ち上げなど新宿二丁目のクラブシーン中心の活動を経て、現在は子育てと両立させながらフリーランスとしてLGBTQにまつわるコンテンツの企画監修・PRなどを担当している。
Twitter@qt_7
インタビュー/芳賀たかし
記事制作/newTOKYO
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