STUDENT COLUMN
大学生LGBTsコラム 【LGBTs当事者が抱えるカミングアウトの壁。変な存在じゃないことへの理解】
僕は、渚真帆人と言います。大学3年生のトランスジェンダー(FTM)です。
家族や友人、親戚にもカミングアウトしていて、一応は理解してもらっています。
このコラムは、僕が日常で感じている問題、そしてカミングアウトについて書きたいと思います。
まずは、僕が学校や日常生活で困っていることから。
そのひとつが「トイレ問題」です。
性自認は男性なのですが、ホルモン注射もオペもしていない状態で男子トイレに入るのは躊躇ってしまうし、だからといって女子トイレに入ると変なものを見る目で見られたり驚かれたりするので、その目線が耐えられなくなり普通の女子トイレにも入れなくなりました。
そのため学校では我慢できない時、わざわざ人のほとんど居ないトイレに行ったり、職員の方が利用する建物まで行ってトイレに入るようにしています。
また、出先などでは学校と同様にほとんどトイレに行きません。多目的身障者優先トイレを利用することもありましたが、出てきた時に不審な目で見られた経験があり、あまり利用できなくなりました。
カミングアウトは勇気の証!
さてカミングアウトについてですが、僕は小さい頃から髪も男子のように短くして服装もメンズ物がほとんどだったので、家族や友人にカミングアウトした時も皆驚くこともなく、「やっぱりそうだったのか」というようなリアクションでした。
僕は今まで直接的に差別や偏見に遭遇したことはなく、周りが受け入れてくれていましたが、SNSなどで「カミングアウトしたら親に否定された」「友達に気持ち悪がられると嫌だから、怖くて言えない」という言葉をよく見かけます。
これは僕個人の考えなのですが、小さい頃から一緒にいる親が、テレビでオネェタレントの方や、同性愛者を公言しているアーティストの方を見た時に「この人ゲイなんだって」というふうに『変な人』というイメージを抱かせるような発言をしてしまうと、子供はそれを疑わずして無意識のうちに「そういう人たちは変なもの=普通じゃない人」という固定観念が生まれてしまい、それが元となってカミングアウトを恐れてしまっているのではないかと思います。
これはもしかしたら当事者の方からすると納得できないかもしれませんが、近年「Diversity and Inclusion」という言葉がありますが、僕は、「色々な人たちが居る、多様性を認めるべきだ」と主張するならば、もちろんそれを受け入れない考えを持つ人達のことも、僕達は受け入れるべきだと思っています。
というのも、受け入れる人がいるならば受け入れない人がいるのも悲しいですが当然だと思うのです。受け入れない事もその人の個性のひとつだと思うからです。しかし、だからと言って差別的な発言や人を傷つける偏見を許すべきだという訳ではありません。
心の中で思うのは自由、というのは憲法でも保障されている人権のひとつです。ただ、それを外部に出して人を傷つける行為は許されるものではありません。
だから僕が周りの人達に対して思うのは、肯定してほしいとは言わないけど、否定はしないでほしい。ということです。
もし、カミングアウトをされて仮にそれが受け入れられないと感じても、相手は自分を信頼して勇気を出してカミングアウトしてくれたのですから、軽率に相手を傷つけるような言葉は発するべきではないと思うのです。
しかし、誰もが受け入れてくれないわけではありません。
勇気を出して友達に言ってみたら意外とすんなり受け入れてくれたり「今まで辛かったね。」と声をかけてくれたりすることもあります。実際、僕もたくさんの人に支えられてきました。
僕が言われた言葉の中でとても嬉しかった言葉があります。
それは、「あなたの体質もFTMなのも別に特別な事だと思ってない」という言葉です。
今まで自分をどこかで変な存在だと思っていた僕にとって、とても嬉しい言葉でした。
僕をただの1人の人間として見てくれているんだと実感でき、この人にちゃんと話して良かったと思えました。
自分らしく生きていくことはかっこいい事だし、恥ずかしく思うことは何もありません。周囲の人に否定されたりして落ち込んでいる人を見ると心が痛みますが、いつかこうして受け入れて理解してくれる人に出会えると信じて、自分自身に誇りを持ってもらいたいと思います。
渚真帆人 大学3年生(FTM)