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二七山不動院・大日山神崎寺の僧侶コラム 「正しく、見る」
金澤 佑泉(かなざわ ゆうせん)
二七山不動院・大日山神崎寺 寺務長。真言宗醍醐派の僧侶。二児の母。
―如実知見-
「正しく見る」
仏教の開祖であるお釈迦様教えの一部です。
正しく見るって何でしょうか?
それは、ありのままに見ること。
人は一人では生きていけません。だから、集団となって組織を形成して協力して生きています。でも、集団になると価値観の自由を奪われ、集団意見が強要されて、自分個人の考えや意見は否定されることがあり、戦時中の人々の行動や心理から鑑みても、とくに日本人には経験があります。
現代の学校という組織の中においても、いわゆる”声の大きい人“の発言により諸々の意見が淘汰され、個人の考えや見解に自由が認められないことはよくあります。”いじめ“はそのような心理から発生します。なんとか仲間外れにされないようにと、同じゲーム機を求めたり、同じキャラクター商品を求めたりする。少しでも弱みを見せれば意地の悪い子に悪口を言われ、標的となってしまう。何とか、それだけは避けたい、その状況にはなりたくない。それは当たり前の心情です。でも、この心理がマイノリティを苦しめる、殊に性的マイノリティに恐怖を与え、この世を住みにくくしているのではないでしょうか。
私は中学校から女学校に通っていたこともあり、1クラスに1人くらいは「カッコいい女子」がいました。彼女たちは手紙などを他クラスの女子からもらっていました。今思えば、「カッコいい女子」の話し方やたたずまい、声の感じなどは、とても「男」らしくて、高校の時の生徒会長は見た目も話し方も男子そのもので、制服のスカートがまったく似合わず、「うちの生徒会長は学ランのほうが似合いそうだなあ」といったタイプの人でした。彼女とは卒業して何年かした後に友人の母の葬儀で再会したのですが、「タイ人のニューハーフが恋人で、いま同棲している」と聞いたときも、「そりゃよかったね」と話していました。私にとっては、正直なところLGBTという言葉自体はよくわかりませんが、その存在は身近にありましたので特別に感じるところは少ないように思います。
比較的偏見の少ないであろう私から現代のLGBTの議論を見ていると、少々過剰気味ではないかな?と思うところがあります。
かつての男女平等の議論を行っていたときのことを思い出します。育児をするとかしないとか、ゴミ出しをするとかしないとか、育児休暇とるとかとらないとか…そんなようなことを今でも情報番組でとりあげて、コメンテーターが熱く語っていますが、うちの和尚様に言わせれば、
「そもそも男と女は違う生き物、平等なわけがない。」
「男には子供が産めないし、女には肉体重労働が向いてない。」
「男は女を尊敬し、女は男を尊敬する。お互いに自分にない長所があるのだから尊敬しあえば、それで問題はどこにおこるのだ。」
つまり、「性別」の問題ではなく「人間」の問題なのだと言われます。
この考え方をもとにLGBTを俯瞰してみると、
レズビアン
ゲイ
バイセクシャル
トランスジェンダー
それがそのまま性別でいいのではないでしょうか。
それがそれぞれ性別として、人として尊敬を持つだけでよいのではないでしょうか。
30人に一人とも、10人に一人ともいわれるLGBTは、数字だけみればマイノリティかもしれませんが、それを異質ではなくそれぞれの「性別」とみればいい。法律的にはまだまだ壁があったとしても、個人個人の意識レベルでは可能です。
「正しく見る」は、偏見や執着のない心で物事をありのまま見ること。
仏様の目からみたら、みんな“人”です。
多くの人は知らないことや知らないものに対しては不安を感じます。そして不安は恐怖に変わり、弱い人はその恐怖に勝てません。そして対象物を除外しようとしたり、攻撃しようとします。そんな恐怖や不安に負けない強い人であるよう、心を強くするためにも仏教に触れ、その知恵を学んでほしいです。
悩みを抱えた人々が訪れるお寺〜人生のアドバイス〜
うちのお寺には、老若男女を問わず様々な人がやってきます。
迷いや悩みを持つ人もやってきます。私は運勢の鑑定士ですので人の宿命や運命をといったものを読み解き、人生のアドバイスをします。人が背負っている「何か」は、千差万別、多種多様です。その「何か」とともに生きることが、「自分らしく生きる」こととなります。そして、自分らしく生きることこそが、この世を楽しく、そして幸せなものとします。
仏教ではこの宇宙のすべては「縁」によって成り立っていると教えます。今世においてLGBTと呼ばれている性別に生まれた縁にもきっと理由があります。否定をするのでなく、そのまま、ありのままの目で正しく見て、自分の魅力を発揮してほしい。正しく見ることができたら世界はもっと輝きだし、夢はもっともっとひろがっていきます。
PROFILE
金澤 佑泉(かなざわ ゆうせん)
二七山不動院・大日山神崎寺 寺務長。真言宗醍醐派の僧侶。二児の母。
真言宗醍醐派の密教寺院の次女として、東京に生まれる。
大学卒業後は、出版社で雑誌の編集に携わり、夫の転勤でアメリカ・シリコンバレーへ移住。帰国後の紆余曲折の中で、さまざまな学びを得る。現在は、「誰かのためになる」「人の役に立つ」という宿命からも読み取れる使命のもと、みなさまからの相談を日々うけ、その方の人生が好転するよう神仏との縁つなぎをしている。毎月開催している「おとなの寺子屋~お寺巡り」や「新春七福神めぐり」などでは、単なる御朱印集めではない「納経」の仕方をはじめ、神仏との付き合い方などもわかりやすく伝えている。
二七山不動院
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