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一杯のコーヒーから広がる輪 ゲイバーのママを経てUTAHさんがオープンした「THE REVIVAL HOUSE」の存在意義
銀座線「田原町駅」から徒歩3分、国際通りから一本入った小道にあるのはコバルトブルーの外壁と「POUR OVER BRO(ハンドドリップのコーヒー、一杯どう?)」のネオンライトが目を惹く、浅草『THE REVIVAL HOUSE』。店内にはオーナー・UTAH(美坂勇太)さんこだわりのアメリカンヴィンテージの雑貨や廃材を再利用したオブジェクトがディスプレイされ、まさにREVIVAL(再構築)のテーマを色濃く感じられる空間が広がっている。
新宿二丁目でゲイバーのママとして働いた5年間、その後の海外留学2年間でセクシュアリティやナショナリティなどについて考える環境が身近にあった中で、マジョリティ、マイノリティの境目を作らず人と人とが「そのままの自分」で接することができる社会推進へ貢献したい。そんな思いを抱いた美坂さんが出した答えの一つがこのお店のオープンだった。
訪れる人、そしてUTAHさん自身も新たな価値観やコミュニティを「再構築」する場所としてゼロからスタートしたこのお店への思い、そして未来について伺った。
マイノリティとマジョリティの壁なくそのままの自分でいられる国へ
お店のファーストインスピレーションともなったアメリカでの留学生活
店子(ゲイバーで働くスタッフ)として働いていたこともあって、学生時代から新宿二丁目へ足を運ぶことが多くゲイコミュニティの中で生活することが当たり前でした。大学卒業後は某大手企業に勤めましたが、家族の不幸もあって帰省することに。ただ、帰省直前のタイミングで交流のあったバーのオーナーさんに「ゲイバーでママをやってみない?」と誘われ、新宿二丁目のゲイバー『ASUFAITO.』のママを務める人生を選びました。今でこそ、20代がママを務めるゲイバーというのは当たり前になりましたが、当時は23歳の僕がお店のママを務めるということは例外中の例外で。そのため、中には僕の存在をよく思っていない先輩方がいることも分かっていました。ただ、やるからには5年は続けようという意思が強かったので、臆せず営業を続けていると、ありがたいことに少しずつ常連のお客様も増え、軌道に乗り始めました。苦労もありつつ充実した月日はいつの間にか流れ、気づけば最初に目標にしていた5年間という月日はあっという間に過ぎ、28歳を迎えていました。たくさんの出会いや経験、日々学ぶことがあって、今ここで話している自分の人生に大きく影響を与えたことは間違いありません。このまま『ASUFAITO.』のママを続けるという選択肢もありましたが、その先を見据えて独立。新宿二丁目でゲイバー『ROUTE-S-』『TSUKEMA』の2店舗のオープン準備をした後、語学や商学のスキルを身につけ仕事の幅を広げるべく、2年間の海外留学へ。
その時の留学先の一つ、アメリカでの生活は語学や商学だけではなく、セクシュアリティやナショナリティに対する考え方、向き合い方など社会学的知見も深めるきっかけにもなり『THE REVIVAL HOUSE』のファーストインスピレーションにも繋がっています。特に印象的だったのが、LGBTsの存在があまりにも自然に受け入れられている社会が構築されているということ。学生時代からバスケットボールをしていた経験もあって、留学期間中も定期的に体を動かす機会が欲しいなと思ってチームを探していたんです。そんな時に見つけたのがアメリカ全州に及ぶLGBTsのプレイヤーを主としたチーム対抗のバスケットリーグ。リーグは1~6部で構成され、約100チームが名を連ねていました。僕自身は2部リーグのチームに所属してプレーしていたのですが、LGBTsを対象としたリーグというもののノンケの選手もいますし、当然国籍や人種だって様々。マジョリティとマイノリティの壁を感じないオープンなコミュニティがそこにはありました。
またそれ以外でも、ゲイカップルが養子縁組で子どもを迎えるにあたって、パーティを催すなんてことも日常茶飯事でしたね。このような生活を送る中で「日本は、マイノリティがそのままの自分でいられる社会なのか」と自問自答をする瞬間みたいなのがあって。留学以前の日本では各メディアでトランスジェンダー のタレントさんや女装家の皆さんが当たり前のように出演していて、多くの日本人に「LGBTsってなんなんだろう?」という考える瞬間、そして知ろうとする間口を大きく広げてくれていました。ただ、やはりそういった方たちが全てではないし、マジョリティに溶け込むように本来の自分を抑えながら生きているマイノリティの方たちも未だに多いということ、そしてアメリカでの自分自身を解放した生活が忘れられないということもあって、日本において誰もがオープンな生活ができる社会へ結びつくような取り組みをしたいという気持ちが強くなりました。
拠点もコミュニティも、プライドも心機一転、ゼロからのスタート
新宿二丁目以外でもLGBTsが自分らしくいられる街を
その気持ちが形となったのが帰国後の2019年6月26日。『THE REVIVAL HOUSE』のオープンでした。ここ、田原町の古民家を再スタートの場所として選んだ理由としては、この街に色濃く残る素晴らしい日本文化を新たな形で蘇らせた上で視覚的、そして体験的に発信することで既存の形に捉われない新たな価値観やコミュニティが生まれる場所としての役割を果たしたいと思ったから。
それは、先ほどお話ししたようにセクシュアリティやナショナリティに対しても同じことが言えて。多くの訪日外国人が訪れ滞在する国際色豊かな浅草、新宿二丁目と同様ゲイタウンとしての一面を持つ上野、二つの街から徒歩圏内のエリアということで、お店に足を運んで下さるお客様は、様々なバックグラウンドを持つ方たちばかり。彼ら彼女らと地元の方たちが交差することで、この街全体のマイノリティへの理解や正しい認知にも繋がるような、知識や価値観を持つ人が増えるのではと考えました。現にお店には東エリア在住・在勤のLGBTsやストレートの方をはじめ、訪日外国人、地元のおじいちゃんやおばあちゃん、新宿二丁目で働いてた時のお客さんや友人など、ジェンダーやセクシュアリティ、年齢といった点において偏りなく多様なお客様にお越しいただいています。一日で訪れる人数、ましてや、こうしたカフェやバーでの会話の中でマイノリティへの理解や考え方が「再構築」されるお客様は多くはないかもしれませんが、今は一人でも多くの方の意識が変わるきっかけを生む場所としての役割を果たせれば良いなと思っています。
かく言う私も新宿二丁目でゲイバーのママをしていた人間なので、夜は週に半分ほどお店に立って訪れるお客様との会話を楽しんでいます。振り返るとゲイコミュニティならではのコミュニケーションや接客のノウハウしか学んでおらず…まぁそれはそれで楽しい思い出ばかりなんですけど(笑)。自分が属するコミュニティの外側の人と触れ合う、共有する時間というのも欲しくて、新宿二丁目ではなくこの場所を選んだという気持ちもあるかもしれませんね。そう考えると自分自身も「再構築」したかったのだと思います。留学以前の生活の拠点は新宿や下北沢といった、東京の西エリアばかり。今まで自分が積み上げてきたコミュニティや知名度、プライドに依存せず、またそれらが通用しない縁もゆかりもない東エリアで留学後の自分がどれだけ通用するのか、純粋に試してみたかった。
オープンして一年経った現在、バーでの交流はもちろん貸しスペースとして提供している2Fで行ったジャズコンサートやクラブイベント、展示会、ゲイの方たちの劇団の撮影地など月4回ほど行われる様々な企画、そして昨今の新型コロナウイルス感染防止策の一環として始めたテイクアウトなどを通して、僕の目標でもあったコミュニティや文化の再構築がなされる場所としての役割を持ち始めた実感はあります。
LGBTsのコミュニティが生まれる場所といえば新宿二丁目ですが、最近では上野や高円寺などでも広がりをみせているような感覚があります。場所ごとの特色に捉われすぎずに、地域に多種多様なコミュニティが生まれていけば、それだけお互いへの理解の輪もスムーズに広がるはず。浅草エリアにおいて『THE REVIVAL HOUSE』もセクシュアリティやナショナリティについて考え直すきっかけを与えられるような存在に成長できたらいいなと思っています。いつか、新宿だけでなくあらゆる街で皆さんが「自分らしく」過ごせる日が来ることを願って。
THE REVIVAL HOUSE(リバイバルハウス)
〒111-0034 東京都台東区雷門1-5-11-1F・2F
営業時間/カフェ:11時~16時、バー:18時~24時(定休日/火曜日・日曜日)
http://the-revival-house.tokyo/
Instagram@revival_tokyo
Instagram@utah_vintage_finds
取材・インタビュー/芳賀たかし Instagram@takapiii_new
写真/新井雄大 Twitter@you591105
記事制作/newTOKYO
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