STUDENT COLUMN

大学生LGBTsコラム(後編)【 自分がセクシュアルマイノリティで頑張ってきた体験や経験を見せることで、生きる希望を持てる人が一人でもいてくれたら嬉しい!】

私は東京の大学に通う22歳、大学四年生のレズビアンです。

前回からの続きですが、

高校時代の当時、一部の人たちからだけでしたが、SNSでのあからさまな誹謗中傷、わざと聞こえるように言われる陰口等あったりもしました。しかし、自分のセクシャリティーが良い方向に働いたこともあります。
それは主に進路についてです。

前に述べたように、私は「普通」ということに対し強い憧れを持っており(ここではあえて差別的な意味での普通、という言葉を使っています)、私の将来の夢は「普通の家庭」を築くことでした。私の理想の「普通の家庭」とは、「愛する素敵な男性と、親戚や友達すべての人から祝福されて結婚し、専業主婦として子どもと夫を支えていく暮らし」のことです。そんなものはたとえ異性愛者であっても決してすべての家庭に当てはまる「普通」ではない(パートナーの性別に関わらず今の日本では共働きが一般的ですし、子どもを持たない家庭や子ども持てない家庭もあるからです)、ということはよくわかっているのですが、それでも私はそんな家庭に憧れを抱かずにはいられませんでした。もし私が異性愛者だったら、この理想に向かって自分の進路を決めていたと思います。

しかし、私はレズビアンなのでこの理想を手に入れることはできません。そこで私は「パートナーが男性である」というどうやっても変えられない部分以外では、なるべくその理想に近づけるよう、そしてもし一人で生きていくことになっても大丈夫なように、自分が経済的に安定し、そして社会的にも胸を張れると自分が思えるような仕事に就こうと考えました。

この時から私の心の中に、「男に負けたくない」、「ストレートの女性と付き合った時に、他のどの男性よりも優れた人間としていたい」「パートナーが私を家族や友達に自慢できるような人間でいたい」という思いが、常に自分の生きる目標として掲げられるようになりました。そしてこの目標を持ったことは、「自分は同性愛者だけど、それは自分の一部であってすべてではない。自分が同性愛者であることは変えられないけれど、それでも自分の努力次第で最高な人生を送ることはできる」という信念を持つことにつながりました。これらの思いが、今の自分の進路を決め、今までの自分の形を作っているものであり、そしてこれからの私の人生の原動力にもなっています。

(うちで飼ってるネチコヤン )

そして話は大学に追いつきます (やっと汗)。

私の通う大学は、総合大学と比べてとても狭い世界(くだらないことですが、噂がすぐに広まったり等)なので、少し窮屈に感じることもありますが、そこまで生活に不自由を感じることはありません。私は同性愛者ですが、大学ではごく平凡な大学生となんら変わりのない生活をしていると思います。

強いて気になったことを挙げるとすれば、入学試験の時の面接で「結婚や出産は考えていますか?」と当たり前に聞かれた時には、配慮が足りない質問をするなと感じました。私は自分のセクシャリティーについては何も触れないまま「結婚も出産もする予定はありません」と答えましたが、もしその答えによって合否が分かれるとしたら論外だし、そうでないとしたらなんてナンセンスな質問だろうという感じです。まぁ、私が受験した時はまさに医学部が入学試験で女子差別をしていた真っ只中だったので、なるほどこういうことかという感じでしたが(笑)

他にも、ハイとイイエを選ばせる心理テストのようなもので「同性を好きになる」という項目が出てきた時は、どう答えようか詰まりました。ここでは「イイエ」と答えるのが多分正解なんだと思いましたが、これで「イイエ」を選ばないと受からないような差別的・前時代的な大学に通う意味は果たしてあるのか?と迷いました。結論から言うと私は熟慮の末、自分に嘘をついて「イイエ」を選ばざるをえませんでした。もしかしたら「ハイ」を選んでいても問題なく合格できたのかもしれませんが、受験という人生の重大な、そして精神的にも究極な局面で「ハイ」を選べなかった自分、「ハイ」側であった私を悩ませ「イイエ」を選ばせた日本の現在の状況に軽い絶望感を覚えました。そもそもなんの意図があっての質問なのか・・・これも同じくナンセンスだったと思います。

これまで長々と書いてきてしまいましたが、私の一番伝えたいことはこれから述べるたった一つのことだけです。今回は私の辛かった経験を主に書いたので、これを読んで「同性愛者は辛いんだ」と思われる方もいらっしゃると思います。しかしこれは私の人生のほんの一部であり、私自身は自分の人生をとても幸せだと思っています。性的指向に関わらず、人間であれば皆それぞれ辛い経験はたくさんしてきているわけです。私が言いたいのは、「自分がマイノリティーに属しているということだけにとらわれて、思い詰めすぎないでほしい」、ということです。

もちろん、セクシャルマイノリティーに関わらず多くの分野でのマイノリティーの方々の生きづらさは明らかに存在します。それは必ず無くされるべきであり、誰もが平等に生きていくことができる世の中を目指していくことは人類の絶対的な目標であると私は考えています。

しかし現状、それは難しい。だから私は、私の生き様を知ってもらうことで、たった一人でも救われる、生きる希望を持てる人がいることを願って、この文章を書きました。

(大学時代②)

正直なところ、「自分が同性愛者でなかったら」と考えたり、本気で死にたいと思ったことは何度もありました。しかし、自分は同性愛者であったからこそ「頑張ろう」と思えた部分も多かったように感じます。

そして様々な経験を通じ、逆境をバネとして乗り越えてきたからこそ、今の最高な自分があると、同性愛者であっても最高に幸せに生きていくことができるんだと、自信を持って言えます。

(はるか昔のTipsy)

以上、駄文にお付き合いいただきありがとうございました。

どうか、セクシャルマイノリティーを含めたすべての人たちが、幸せに暮らせる世界になりますように。

最後に、COVID-19の影響で大変な世の中ではありますが、自分も医学生としての自覚を持って行動していきたいと思っておりますので、皆様もどうか心身ともにご自愛ください。

今は我慢の毎日で辛いですが、また安心して二丁目やイベントに参加できるようになった時には、一緒に全力で楽しみましょうね!

東京の大学に通う22歳  大学四年生のレズビアン

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