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人生と旅は選択の連続 東京→鹿児島 1,300km歩いて日本を繋ぐ 第7章

男でも女でもないXジェンダー”れいれいさん”
自ら鹿児島まで歩き、様々な人々の暖かさに触れあい支えられながらの旅。
LGBTs啓蒙活動を続け、地方に住む当事者たちと出会ったことで見えてきた「LGBTsの現状」をお伝えする。


二人三脚で越える鈴鹿山脈

旅が始まって12日。1月も終わる。
朝一東京からきてくれた“じょーじ”と合流。
今日は桑名から鈴鹿の予定だったが物足りなくて最終的に亀山まで歩くこと、実に46キロ。
旅の初めと違い、歩き続けることに自信がついていることもあり、30キロ程度では進みが悪いと感じてしまう。

桑名から亀山インターチェンジ

第一章でも東京から横浜まで一緒に歩いてくれた“じょーじ”と今日から三日一緒に歩けることもあって絶大な信頼と共に気持ちに余裕があった。
元陸上アスリートの“じょーじ”は僕の10個上なのだが現役引退後も体力がすごい。ずっと同じペースで歩いてくれるし合わせる余裕がある。どんな挑戦にも年齢も性別もステータスも関係ない。僕にとって憧れというか、敬愛している存在だ。

じょーじ

この日は雨が降ったりやんだりと天気が不安定だった。スマホアプリで雨雲の隙間を確認しながら平坦な三重の市内を歩き続けた。よく橋を渡っていたので小川が多い印象を受けた。
8時ごろ当初の予定の鈴鹿に到着しなんだか歩き足りないねと話し合い、結局亀山まで進もうという話になった。
そして、平田町あたりでFTMの“ゆっけ”が会いに来てくれて、井田川まで運んでくれた。

ゆっけ

井田川を過ぎてからはバイパスが増えるが、当然人は歩けないので横の旧道を歩いていく。
かなりの起伏に二人とも徐々に疲れを感じる。
名古屋から京都に入るにはまず木曽三川を超えたのち、鈴鹿山脈を越えなければいけない。箱根以来の山越えの雰囲気を感じた。亀山インターチェンジ付近にあるホテルで一泊。

二人とも程よい疲れを感じつつ、翌日の山に備える。翌日は山を越え滋賀県の野洲に向かう。距離にして58キロ。“じょーじ”と一緒なのもあって企画は「三日間でどこまで歩けるのか!?限界への挑戦!」という、ストイックな内容に変わってしまっていた。

亀山から野洲

鈴鹿の山の中で初めて猪肉を食べた。ものすごい三重弁のおじさんがオーナーで、もはや僕も“じょーじ”も聞き取れないほど圧倒されていた。
旅の中では多くの方言に触れる機会があって、耳にする方言が変わるごとに進んでいるんだという実感がわく。“じょーじ”ももともと出身が岡山なので道中はところどころ「じゃけん(だから)」や「でぇれぇ(すごい、とても)」が出てきて面白い。

はじめての猪

旅の目的、深く相手を知るということ

今回の企画ではインスタントにつながることができるSNSと実際足を運ぶことで出会い、関係を深めるというオンラインとオフラインの要素の良さをうまく活用することを目的としている。そんな中で三日間一緒に歩き続ける“じょーじ”は 特に珍しいが、当然お互いをより知る機会になる。“じょーじ”との出会いは友人の“井上健斗(通称けんけん)”が新宿で「井上健斗のはしご酒」を企画していた時だった。“けんけん”はFTMで、性転換のアテンド業を当事者が行うスタイルの先駆けであるG-pitの社長だ。僕のSNSを見てフォローをしてくれたのだが、当時“けんけん”が住んでいた場所と僕の職場が近かったという理由で飲みに行き、意気投合した。そこから間もなくはしご酒の企画があって偶然参加したのだが、“じょーじ”も気まぐれで参加していた。余談だが第二章にも出てきた“すえちゃん”との出会いも同イベントの二次会で入ったお店だった。

簡単に知り合える、かけがえないかは自分次第

今のご時世SNSによって「知り合い」や「知っている人」という距離感になるのは簡単だが、「深いつながり」と言えるほどの関わりになることによりハードルが高まっているように感じる。
SNSで興味を持ってもらうには自己表現の氷山の一角を、なるべく大きく魅力的にする必要がある。また、そこに触れた第三者の口コミがその信頼度を左右する。
カテゴライズによって社会がさらに分断され、「ひょんな出会い」から「仕込まれた出会い」に変わっていった。カテゴライズによって共通項がなければ人は仲良くなれないのだと錯覚させてしまう。
合うか合わないかを瞬時に決める情報の一覧としては便利な反面、そこに載っていないより多くの情報を見ることなく関係が終わってしまうというデメリットがあり、それは実際に会って話し合うことによる多少の忍耐がなければ成立しないのだということを感じている。

例えばセクシャルマイノリティにおいて非当事者が当事者に対して「偏見」や「間違った知識」を持っていた時に、イメージと違うかもしれないと気づくまでには付き合い続ける忍耐が必要だ。
今回はその考察をもとに「面白そうなことをしている人がいる。」、「前からSNSでは知っていたが、話したことはない。」とSNSで感じることに始まって、実際に会うこと、応援してくれること、一緒に歩くことで多少の忍耐を共有することで相互関係が深まると僕は思っていたし相手がどんなステータスだろうと人は友達になれるのだと証明できたのではないだろうか。

いよいよ京都入り

甲賀から山陰を進んでいるのもあり、あまり起伏の激しい道ではなかったが何時間も森と山と苔に囲まれた道を延々と歩いていた。この日は風が強く、重たい荷物が煽られてまっすぐ歩くことが困難だった。
あっという間に日は暮れて野洲につく頃には12時を回っていた。
流石に58キロは歩きすぎだ。二人ともクタクタになってご飯を食べる気にもならなかった。

翌日は“じょーじ”最終日、京都入りの予定だが“じょーじ”の時間の都合で途中の大津でお別れとなる。野洲から京都までは31キロしかないので楽勝だった。
朝からスタバで一服し、“じょーじ”と三日間を振り返る余裕すらあった。

野洲から京都

大津でお別れしたあとは、いよいよ山科の山越えとなる。
山自体は大したことはないのだが街灯が一つもなく、横にはお地蔵さん、その向かいには墓地、斎場、そして鳥居が現れるような不気味な山だった。山の中は電波が入らず、まずいところに入ってしまったのかもしれないと思いながらも恐怖心と戦いながら歩き続ける。山の中では基本的にイヤホンをしない。歩道がないため車がいつ横切るかわからず、ぶつかる恐れがあるからだ。暗い環境ではなおさら耳を澄ますため、どんなに怖い場所にいても気を紛らわすことはできない。右ではせせらぎ、左の藪ではずっとがさがさと物音を立てていたが暗すぎて光を当てても何も見えない。

山中はフラッシュをたいてこの明るさ

山科を超えて京都入りする手前の山に「清水寺はこちら」という看板があった。こんな不気味なところにあの清水寺があるわけないと思っていたが、あの清水寺だった。

京都入りするにはこの大きな門をくぐっていかなければいけない。

山を越えれば七条から京都駅へ下っていくだけだ。
駅では“ひる”が待っていてくれた。“ひる”はバイセクシャルでセクシャル等はオープンにしていないが、旅の経過を見て会いたいと思ってくれたそうだ。初めてあったとは思わせないほどフランクな人で一緒に居酒屋に行き京都入りを祝った。

“ひる”と京都入り祝い

関西では多くの人に出会うため滞在期間を長めにした。
東海道五十三次も終わり、街中どこにいても京都弁だ。
ここからはいよいよ福岡まで続く国道二号線沿いを歩いていくことになる。

京都駅

PROFILE

れいれい

1995年4月12日生まれ。男でも女でもないXジェンダー。恋愛対象はパンセクシャル(恋愛対象に性別を拘らない。)。
香港人の母と日本人の父の間に生まれ、幼少期より海外で過ごし国際的な文化圏で育つ。
物心がついた時から性違和を感じるも答えが見つからず、20代に入ってどちらでもないという概念に行きつく。
現在ではジェンダーフリーデザイナーとして、アパレルブランド「RAY RAY」、ボーダーフリーイベント「れいパ」をオーガナイズしている。

Twitter@rayhung0412
RAY RAY ray-ray.online/

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