TALK
人生と旅は選択の連続 東京→鹿児島 1,300km歩いて日本を繋ぐ 第8章
男でも女でもないXジェンダー”れいれいさん”
自ら鹿児島まで歩き、様々な人々の暖かさに触れあい支えられながらの旅。
LGBTs啓蒙活動を続け、地方に住む当事者たちと出会ったことで見えてきた「LGBTsの現状」をお伝えする。
2月3日。旅が始まって16日目。
半年以上かかりそうな企画だが3週目にして東海道五十三次を終えている。いまだから言えることだが心の中では正直もう終わりでもいいのではないかと思う程度に、徒歩旅初心者には過酷だったが、そんな気の迷いも吹き飛ばしてくれるぐらい関西に行ってよかった。
京都で一夜明け久々にゆっくり寝た。 河原町に向かう。登山家の様な格好なので完全に浮いていたが、京都の風情は素敵だ。 宿に荷物を置いて着替える。今夜の予定まで時間があるので、ラインのグループ通話で“ようじん”や“すーさん”(6章参照)とビデオ通話をしながら散策をした。 京都で一番楽しみにしていたのが生八つ橋を食べることだったので一箱買ってあっという間に平らげる。
今夜の予定は京都担当の“こいちゃん”だ。“こいちゃん”はFTMで、ツイッターで知り合った。初めて会ったが“こいちゃん”はかなり人見知りで、すごく緊張していた。 大阪担当へはハーバリウムセットを用意してくれた。実に“こいちゃん”らしい粋な贈り物だと思った。 動画の撮影後は二人で河原町に戻り、観光バーに寄った。話に盛り上がりすぎて気づけば“こいちゃん”は終電を逃し、僕に感化されたのか京都の端から端まで1時間余り歩いて帰っていった。
過去も未来も受け入れて
僕には“ひーこ”という小学校の同級生がいる。僕と“ひーこ”は海外の小学校に通っていて仲が良かった。僕は小学校卒業手前で一度帰国をしたのだが、“ひーこ”はそのまま現地で進学し、高校で帰国。皮肉なことに帰国子女にとって当時知り合った友人は一生思い出に残るが、幼いころほど連絡手段がなかったりして二度と再会できない可能性が高い。
なぜ“ひーこ”の話を書いたかというと、豊橋を超えて名古屋へ向かう途中旅の話は一切していなかったが、急に「夢に出てきて思い出した。元気にしてるのかなと思って。」というラインをくれたおかげで“ひーこ”が京都に住んでいることを思い出し、京都で会うことになっていた。
13年ぶりの再会は感動だった。僕らは小学校以来ずっと離れ離れだったが、僕にとって“ひーこ”は幼少期に僕を受け入れてくれた人物の一人だった。
“ひーこ”は当事者ではないが、僕は当時(現在は僕の性自認が違ったことに気づいたため)同じクラスの同性だと思っていた子が好きになって、そのことを“ひーこ”に打ち明けていた。よく考えれば2000年初期なんてまだまだXジェンダーどころかLGBTQなんて知られていなかったし、知識を得る媒体すらほとんどない時代に、「いいんじゃない?愛なんて人それぞれだよ」と受け入れてくれた。海外とはいえ、当然そういった教育が特別あったわけではなかった。世の中には男女がいて、男性と女性の恋愛が当然とされる時代だったからこそ、“ひーこ”のリアクションは当たり前ではなかったし、有難かった。
多様化した社会とは言うけど
少し話はそれるが、“ひーこ”は僕と同じく混血だ。僕は香港(広東省)、“ひーこ”は中国江西省にルーツを持つ親がいて、共通言語も三か国語ほどあるが基本は日本語で会話する。
同じ中国大陸とはいえ広いので言語や文化も違ってくる。そして何より、僕らはルーツとは違う土地でその伝統を受け継いだ親に育てられる。同じ言語を話していても文化背景は少しずつずれていく。
僕らがいた小学校は似た境遇の子が非常に多く、各国のミックスや帰化した子が通っていたし、もちろん純血の子もいた。
そこでの共通認識は色んな背景を持った子を尊重することだった。
教育現場としてそういう指針があったわけではなく、むしろありふれた多様性をみんながオープンにしていたからこそどんなバックグラウンドを持った相手でも無意識に対等に接していた。そのため、どんな背景を持った人と出会っても驚いたり冷やかしたり先入観で決めつけたりすることはない。色んな人が存在することを肌で経験していたから。
ところが僕も“ひーこ”も日本に帰国してからその前提の違いに衝撃を受けていた。
多様化する社会を尊重すると掲げつつも、現実的にはその多様化した存在になじみがなさすぎて間違った情報による先入観や珍種扱いされたりする。
そして当事者自身も声をあげてオープンにすることに対して消極的である。自分が傷つく可能性があるならばそれは当然の反応である。
こんなことを言うと、時として「不満があれば国を出ていけばよい」やら「お国へ帰れ」やら言われることもある。令和にもなって自らの知見の狭さを棚に上げ、人のバッググラウンドや人格否定をすること以上に稚拙なものはない。どんな背景を持った人と遭遇しても、マナーとして尊重ができる社会にしていかなければならない。
多様性との共生とはそういうことだ。
少しずつ前へ
“ひーこ”とわかれたあとは“るき”が会いに来てくれて、滋賀から“みのり”が来てくれた。
翌日、大阪へ出発。距離は43キロ。
“しむ”が途中の長岡京まで一緒に歩いてくれた。
東大阪まではほとんどが工業地帯で、新幹線の高架下を変わらぬ風景のなか歩き続けた。
東淀川区付近までずっと低地だったが、淀川越しに見える大阪市は高層ビルが建ち並び、きらびやかな光で包まれており、いかにも都市だった。
この日は昼の12時から歩いていたのもあり到着したのは深夜0時。12時間の旅だった。
2月6日、大阪担当の“かいさん”と“なみさん”に荷物を渡し、“なみさん”の妹である“みゆきち”あての菓子折りとお手紙を運ぶ。
この日の夜は奈良に住む“睦月”が会いに来てくれた。
“睦月”もXジェンダーで、男女どちらでもない中性的な雰囲気だ。“睦月”とは福岡のイベントで会っていたが少ししか話していなかったため、今回ゆっくり会えた。
2月7日大阪滞在最終日
午前中は前職で一緒に働いていた“つくねさん”に会えた。ツイッターをずっと見てくれている人は時折現れる“おっちゃん(53)”の名前でピンとくるかもしれない。
公私ともにいつも目をかけてくれた“つくねさん”には当時早い段階でカミングアウトしていた。少し驚いた表情ではあったが、そういう生き方もあると前向きに受け入れてくれた。
カミングアウト後、当時社内の打ち合わせで採用について話があった時「男・女の得意な業務」のような性差の会話があり、“つくねさん”が「性別ではなくニーズに合わせて」と意見していたことが嬉しかった。今ではRAY RAYで洋服を買ってくれるお得意様でもある。
その後、“碧”と会う機会があった。“碧”はXジェンダーで僕と同じ香港人ミックスだ。
日本と香港のミックスでしかもセクシャルマイノリティ当事者というすごい確率に生まれて出会うことができた。なかなか珍しくてうれしい。
なかなかゆっくり話すことはできなかったが、その後“シン”が来てくれた。“シン”とは初対面だがずっと会ってみたいといってくれていた。もともとはお茶をする予定だったが、最終日の夜は数人と一緒に飲みに行く予定だったので“シン”も誘って一緒に行くことになった。
その後、梅田で“まろ”、“もーりー”、“こう”、“とりさん”と合流して6人で飲んだ。
会ったことある人ない人が入り混じった会だったが、みんな気さくでかまってくれた。
関東でもお世話になっている“さと子さん”が経営する堂山DOPEに行き、DJや『非国民的』というイベントなどを手掛けるイベントオーガナイザー“あおさん”にサプライズで会いに行った。
たまたまDOPEに飲みに来ていた“シキ”とも再会した。“シキ”は以前大阪れいパに来てくれている。
関西はやっぱり都市だけでなくコミュニティも大きい。
本記事でも端折ってしまって申し訳ないほど三日間で大勢の方に会い、短い時間ではあったが一人一人と向き合った。各々が色んな環境の中で一生懸命生きている、そのことをものすごく実感した京都と大阪であった。
次回はまだまだ続く関西。そして面白い出会いがたくさんあった兵庫についてまた書き綴っていきたいと思う。
PROFILE
れいれい
1995年4月12日生まれ。男でも女でもないXジェンダー。恋愛対象はパンセクシャル(恋愛対象に性別を拘らない。)。
香港人の母と日本人の父の間に生まれ、幼少期より海外で過ごし国際的な文化圏で育つ。
物心がついた時から性違和を感じるも答えが見つからず、20代に入ってどちらでもないという概念に行きつく。
現在ではジェンダーフリーデザイナーとして、アパレルブランド「RAY RAY」、ボーダーフリーイベント「れいパ」をオーガナイズしている。