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人生と旅は選択の連続 東京→鹿児島 1,300km歩いて日本を繋ぐ 第9章

男でも女でもないXジェンダー”れいれいさん”
自ら鹿児島まで歩き、様々な人々の暖かさに触れあい支えられながらの旅。
LGBTs啓蒙活動を続け、地方に住む当事者たちと出会ったことで見えてきた「LGBTsの現状」をお伝えする。

関西をつなぐ 

2月8日。旅スタートから21日。大阪で一夜明け、兵庫へ向かう。大阪駅から神戸駅まで約30km程度。三日休憩した後に歩き出すには余裕の距離だ。 前日一緒に飲んだ“まろ”が今日は一緒に歩いてくれる

(”まろ”)

僕らは共通のゲームがありそこから仲良くなったので、お互いゲーム内でしか話したことがないし面識もなかった。

実は“まろ”は同じく海外の血が流れており、FTMの弟がいて本人も同性パートナーがいる当事者だ。たくさんの共通点の中から実際に出会い、そこを入り口にそれ以外の会話とすることこそ信頼関係の始まりだと思っている。

“まろ”の話を聞いていると、やはり東京都と大阪は若い子を主体とした当事者のコミュニティは比較的盛んだということがわかる。実際僕も大阪れいパをしてある程度オープンにしていたり、SNSをやっている人口が比較的多く感じる。

しかし、中でもやはり難波や堂山におけるクラブや飲酒をメインとしたイベントが多く、未成年や「ウェイ」なノリを抜きにした交流がしたい当事者にとっては入っていきにくいようだ。

道中は尼崎で昼食を済ませほとんど止まることなく、まっすぐひたすら歩いていた。こういった栄えた地域の大通りで一番助かるのはバス停に休憩用の椅子があることだ。

実は過去に軍隊式の訓練を受けていたことがあり、10キロ毎10分の小休止をする。行軍の小休止では肩の荷が軽くなることで疲れてしまうので荷物を降ろさない。また地べたに座ってしまうと今度は立ち上がりたくなくなってしまうため、しゃがむかよりかかるかという選択肢しかない。そういうときに椅子があると荷物の重さを逃がせるし腰に負担なく休憩ができる。軍隊の装備の方が重いのではるかに過酷だが。

神戸駅よりも三ノ宮駅の方が栄えてる

色んな話をしていたらあっという間に三宮に着いた。時間の都合で“まろ”は三ノ宮でお別れすることに。

三ノ宮を通り過ぎ、神戸駅に着いたが街灯も少なくいきなり暗い。「三ノ宮駅の方が栄えちゅうき」といったのは高知県出身、兵庫担当の“あか”だ。結局宿の都合で三ノ宮に戻るのだが、これなら最初から三ノ宮ゴールでもよかった。

もうすぐバレンタインなのもあり”あか”が用意してくれたのは惑星の形をしたチョコ『ギャラクシーチョコ』。岡山担当はパティシエなので喜ぶこと間違いない。

今回日本旅をした個人的な理由があって、僕はずっと海外にいた都合で日本をほとんど回ったことがない。あそこよかったな、今度また行こうと思える場所を探すためにもまあ、一度行って体験するのも悪くないか。

(”あか”と神戸駅)

この日はぐっすり眠って兵庫で一夜明けたあとは“サヤ”と会った。

“サヤ”はお馴染み性別不詳、僕とは大阪れいパで会っている。

三ノ宮から大阪まで30分というアクセスの良さもあり、周辺に住む当事者は遊ぶときは大阪に出ることが多い。大阪のコミュニティが東京のように大勢の人で成立する理由の一つでもあるのだろう。

余談だが、関西の若者言葉で合流することを合致するというらしい。

名古屋を超えてから頻繁に聞くようになり、ニュアンスは理解できるのだがわかっていなかった。関東では絶対通じない言葉に触れていくのは面白い。

(”サヤ”)

価値観の数は気づきの数 

“サヤ”とお別れした後は、気まぐれで観光バーに入った。

出迎えてくれたのは外国人スタッフの“ルーク”と“デン”。平日だったのもあり客一人だったので、ほとんど二人と話していた。

“ルーク”は最近日本に来たアメリカ人、“デン”はフィリピンと日本の混血で幼少期はフィリピンで過ごしていたらしい。

こういうバーではがっつり外国語がしゃべれるタイプか、外国人と出会いたいタイプが集まる傾向にあり少し一線ひかれている。外国語が喋れると認知されると似た境遇の人たちをどんどん紹介してくれたりよくしてくれる、ある種多国籍マイノリティのよりどころだ。

雑談をしていると “デン”の兄弟分の“ランス”が来た。ランスもフィリピンと日本の混血で旧知の仲のようだ。

(”ランス”)

様々なバックグラウンドを持った人を日々相手にしているだけあってさすがだと思ったのは、打ち解けてインスタを交換した際に「男でも女でもない」「Non-binary(日本でいうところの中性)」という文言にいち早く気付いて察していた。日本ではよくある「えっ、なになにどういうこと!?」のような珍獣扱いされることもなく、冷静に「君は男でも女でもないんだね」と確認されただけだった。

居心地がよくて結局閉店までいた。“デン”とご飯に行こうという話になり、ラーメン屋へ。“デン”によるとフィリピンでは良い意味でわがまま、自分らしさを表現しなければ生きていけない部分があるといっていた。フィリピンはオープンにしているニューハーフやゲイが多くおり、昔はそういう人に追っかけまわされたりしたので否定的に思っていたらしい。しかしそれは自分に害ある行動だからであって、その本質が悪なわけではないということ。

安易にその人自身と性質を結び付けて善悪を決めてはいけないということに気付いてから見方が変わったという。やはり複数の文化を経験している人は自分の知らない価値観に直面しても向き合い方が合理的だ。

日本におけるミックスカルチャーはセクシャルマイノリティの文化よりも古くからあるし、様々な地域にコミュニティがある。いろんな場所に出入りすることでセクシャルマイノリティのコミュニティ以外からコミュニティ形成のアイデアやいろんな価値観を多角的に学ぶことができ、自身が作るコミュニティにも良い変化をもたらす勉強となる。

(”デン”)

Xジェンダーというより性別不詳ていうより名前がない

翌日は兵庫担当の”あか”と南京町へ行った。”あか”は看護師で同じくXジェンダーだ。いや、Xジェンダーだときっぱり言われたことがないので便宜上言っているが、厳密には異性として生きたいわけではないが体の性別に見られるのも違う、という感覚。体の形を変えるほど違和感があるわけではないが、しっくり来ているわけではない。Xジェンダーというくくりの中にもいろんな感覚があって一概にこうというわけではなく、幅広い感性の仲間と認識している。

僕と”あか”の共通点は、物事に男らしさや女らしさがないこと。例えば僕も”あか”もバイクが好きだ。”あか”に至ってはハーレーに乗っている。世の中では乗り物は男の趣味だと見られるけど、僕らは好きだから乗る。男も女もない。

ファッションなんかもそうだ。今ではメンズ服もバリエーションに富み、性別問わずおしゃれが盛んだが、90年代、00年代初期は男性向けファッションというと単調なものが多いイメージだった。女性のほうがおしゃれにこだわるという世の中のイメージがあり、店舗におけるレディースエリアはいまだに広い。僕らはそれよりも先をいってる。メンズレディース関係ない。着たいと思ったものを着る。そもそも服を性別わけしなくて結構だ。

こんなものは序の口であげればきりがない。

世の中は男性名詞と女性名詞にあふれている。

何が男で何が女か、そして何がXジェンダーか。

次世代の生き方にはボーダーラインはいらないのかもしれない。

(”あか”)

夜は”シャノン”と”まなと”が偶然三ノ宮にいたので顔を出した。

三ノ宮は東京に負けず劣らず眠らない街だった。

次回は兵庫続編、長田であったたくさんの人たちとの出会いを語る。

(”シャノン”)
(”まなと”)

PROFILE

れいれい

1995年4月12日生まれ。男でも女でもないXジェンダー。恋愛対象はパンセクシャル(恋愛対象に性別を拘らない。)。
香港人の母と日本人の父の間に生まれ、幼少期より海外で過ごし国際的な文化圏で育つ。
物心がついた時から性違和を感じるも答えが見つからず、20代に入ってどちらでもないという概念に行きつく。
現在ではジェンダーフリーデザイナーとして、アパレルブランド「RAY RAY」、ボーダーフリーイベント「れいパ」をオーガナイズしている。

Twitter@rayhung0412
RAY RAY ray-ray.online/

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