STUDENT COLUMN
大学生LGBTsコラム(前編)【 アウティングもかけがえのない経験!(笑) 高校時代の友達や当時の彼女に感謝!! 】
初めまして。
私は東京の大学に通う22歳、大学四年生のレズビアンです。
まずは今回の私のコラムの内容の軸についてお話しします。コラムを書くにあたり、参考までに他の方の書いた学生コラムの記事をいくつか拝見させていただいたところ、性自認という観点での学生の悩みや葛藤を書かれている記事が多かったように感じました。そのため、私は性的指向という観点を軸として、学生である自分の経験や感じていることについて書いていこうと思います。今までレズビアンのうちの一人として生きてきて、辛かったことや、悩み、生きづらく感じたことは数え切れないほど多くありますが、今回はコラムの主旨に沿い、学生としての観点にのみ絞ってお話しすることをご了承ください。
なるべくわかりやすいよう、時系列に沿ってお話ししていきます。
レズビアンを認めたくなかった自分
私は、幼稚園生や小学生の頃から好きな女の子はいましたが、まだ幼かったので、そのことについて深く考えたり悩んだりすることは特にありませんでした。むしろ、友達が共感している少女漫画のような心ときめく恋愛感情を異性に対して持ったことがなかったので、「恋愛なんてくだらない」とマセガキのようなことを思っていました(笑)
しかし自分は本当は恋愛に興味がないのではなく、女性しか好きになれないのだということに薄々気づき始めたのは、中学生になった頃でした。元々アニメや漫画等の二次創作が好きだったので、その頃におそらくTwitter等のSNSの影響もありBLというジャンルにハマって(いわゆる腐女子)、そこから派生して「バイセクシャル」、「レズビアン」という言葉について知ったことが、自分のセクシャリティーについて知るきっかけだったように思います。
私は当初、自分を「レズビアンである」と認めることがどうしてもできませんでした。周りの友達や家族が受け入れてくれないということはないとわかっていましたが、他の誰でもない自分自身が「レズビアン」という「マイノリティー」に属すことをひどく拒絶していたのです。私は心の奥底では世間でいう「普通」である「異性愛」や「結婚」、「出産」に憧れていて、自分がその枠に入れないということがどうにも耐え難かったのです。
このような理由から、結局中学校では男の子と付き合い、周りの友達には自分のことは「レズキャラ」、「レズよりのバイ」等と面白おかしく話すことしかできませんでした。修学旅行での友達との恋バナでは、好きでもない彼氏の話をして、みんなと同じように盛り上がれない自分に対してや、嬉しそうに話す友達との温度差に対し、ひどく寂しさを感じたことをよく覚えています。しかしこの生活が、当時中学生だった私の精一杯でした。今から思い返すと、この頃が、私が自身のセクシャリティーについて一番悩んでいた時期だったかもしれません。
みんな知ってた高校の生徒たち(笑)
しかし高校生になった頃には、高校が多様性の認められるとても恵まれた環境だったこと、そして自分のセクシャリティーについてきちんと向き合って、ある程度客観的・理性的に考えることができるようになったこともあり、自分のセクシャリティーに関する悩みはほとんど感じなくなりました。彼女ができたことを家族や友達にカミングアウトしたのも同時期で、自分と自分のパートナーの関係を他の人たちが認めてくれるということの幸せも初めて実感しました。この時、生まれてきてからようやく「自分はこの世界に存在していていいんだ」と思えたような気がして、心の底から救われました。
私がレズビアンであることは、同じ高校の生徒のほとんどが知っていたと思います。今から考えればこれはアウティングでしたが(笑)、それによって嫌な思いをすることはほとんどなかったし、かけがえのない経験をすることができたので、高校の友達や当時の彼女にはたいへん感謝しています。
「嫌な思いをすることはほとんどなかった」と述べましたが、裏を返せば少しはあった、ということになります。特定の、ほんの一部の人たちからだけでしたが、SNSでのあからさまな誹謗中傷、わざと聞こえるように言われる陰口等・・・。時が経った今ではされていたことは大したことではなかったと思えるようになりましたが、「もし同性同士のカップルでなかったなら、同じことをされることがあっただろうか?」という考えや、私の当時のパートナーはストレートの女の子だったので、「恋人が私(同性)でなかったならこんな思いをさせずに済んだのに」という自責の念は、当時の私をひどく苦しめ落ち込ませました。
恋人が心を病んでしまい病院へ行った時も、「どうして先に学校に相談してくれなかったんだ」と先生に責められ、「相談にはカミングアウトが必要不可欠だから簡単には言えなかった」とも言えず、苦い思いをしました。その先生は生物学の先生で、「同性愛は生物学的にありえない」と授業中に断言するような先生だったので、余計に話しにくかったことをよく覚えています。多様性が受容されやすい環境であっても、ジェネレーションギャップによる価値観の相違は存在するということと、すべての人の理解を得ることの難しさを痛感しました。
後編に続く!!